☆しんぶん赤旗2024年1月10日掲載記事「経済アングル」 記事pdf
正月を襲った能登半島地震で大きな被害を受けた自治体の一つ、珠洲市(すずし)は能登半島の北端にあります。1954年の市制施行当初、3万8000人を数えた人口は現在、1万2000人足らずと3分の1以下となっています。東日本大震災直後の2011年秋、この珠洲市を取材しました。
珠洲市では2003年まで原発建設をめぐり住民が二分されていました。関西電力が北部の高屋町、中部電力が東端部の三崎町寺家地区に立地を計画。地元の北陸電力は調整役という3社体制が構築されていました。
推進派は立地地域の住民の子どもを原発賛成を条件に関西電力や中部電力に採用するなど、なりふり構わず反対派を切り崩しにかかります。推進派と賛成派の天下分け目となる1993年の市長選で反対派は僅差で勝利できませんでした。しかし、投票総数が合わないことが問題となり、最終的に最高裁が「開票手続きの根幹において誤りがあった」と選挙無効を宣言したのです。
出直し選挙でも推進派が当選したものの、当初の市長候補(現職)は立候補すらできませんでした。市長選では負けたものの、反対派は団結してねぱり強くたたかいを続け、2003年12月、電力3社は原発計画の凍結を発表したのです。
立地予定地だった高屋町も寺家地区も海沿いにあります。高屋町は道路の寸断で孤立状態にあり、寺家地区は揺れに加え津波被害が直撃しました。もしこの場に原発が建設されていたら、東電福島原発と同様の大事故となり、住民たちは震災被害に加え、故郷喪失となったおそれもありました。住民たちの団結とたたかいが守った地域への一刻も早い救援と復旧を願います。
(清水渡) (2024・1・10)